UIはいずれ"球"になっていく、と昔から考えていた
この"球化"には2つの意味がある
抽象化の球: あらゆる入力を受け止めるインターフェース. 球の表面のどこに触れても中心の機能に到達できる
空間化の球: ユーザーを360度取り囲むインターフェース. 画面の枠を超えて現実空間そのものが操作対象になる
平面ディスプレイに閉じ込められたGUIから、音声アシスタントやAR、そしてLLMによる対話型インターフェースへ. UIは確実に画面の外へと染み出している
その行き着く先が、この2つの意味での球状の情報空間である
大規模言語モデルの登場により、UIの抽象化が急速に進んでいる
従来のGUIでは、ボタン、メニュー、フォームなど、あらかじめ定義された入力方法しか受け付けなかった. ユーザーは設計者が想定した操作パスに従う必要があった
しかしLLMを介したUIでは、自然言語という究極に柔軟な入力方法により、どんな要求も受け止められる. 曖昧な指示から、複雑な条件付きタスクまで、すべてを単一のインターフェースで処理できる
これは球の表面のように、どこから触れても中心(コア機能)にアクセスできるインターフェースといえる. 入力の形式や角度を問わず、システムが意図を理解し適切に応答する
この変化に伴い、文字入力インターフェース自体も変容している
コマンドラインからフォーム入力まで、文字UIは長らく正確な構文を要求してきた. しかしLLMと音声UIの台頭により、「何を入力すれば何が起きるか」から「何をしたいか」を伝えるだけで済むようになった
これまでの文字入力は陶芸品のような立ち位置になっていく. 大量生産の時代に手作りの器が特別な価値を持つように、効率的な音声や視線入力が主流になる中で、文字を綴る行為そのものが意味を持つ. 思考を形にする過程、推敲する時間、文字として残す意志. これらは効率とは別の価値として残り続ける
エージェント型UIの登場により、実行プロセスも抽象化された
従来は個別のアプリケーションを起動し、機能を選び、パラメータを設定する必要があった. しかし知的エージェントは、ユーザーの意図を理解し、必要なツールを自動選択し、タスクを完遂してくれる
「会議の要点を可視化して共有して」という一言で、エージェントが議事録作成、ドキュメント化、チーム共有までを一貫して処理する. ユーザーは内部で何が起きているか意識する必要がない
これもまた球的な構造を持っている. 表面(ユーザーの要求)から中心(実行エンジン)への経路は無数にあり、エージェントが最適なルートを選択する
「最高のUIは存在しないUI」という考え方がある
コンピュータは環境に溶け込み、ユーザーの意識から消えていく. スマートスピーカーやワイヤレスイヤホンは既に画面を持たない. ユーザーは音声で話しかけるだけで、デバイスの存在を意識することなくタスクを完了できる
これは球の内側にいるような体験といえる. インターフェースは見えないが、どこにでも存在し、必要な時に応答してくれる
インターフェースは環境に溶け込む
AR-HMDは、物理空間そのものをインターフェース化する
デジタルコンテンツが物理空間とシームレスに融合し、ユーザーはコントローラーを使わず視線と手の動き、声で操作する. まさにコンピュータが人間の周囲を包み込むUI体験である
理想的にはインターフェースが透明な存在になって、必要な時だけ現れては消える. これまでは人間がコンピュータに合わせて体をねじ曲げてきたが、本来あるべき姿は、コンピュータが人間を取り囲むように寄り添うことである
VRではユーザーは仮想世界に没入し、視界全体がインターフェースとなる. ARでは現実空間そのものがインターフェースのキャンバスになる
重要なのは、インターフェースがもはや画面の枠に留まらず環境と溶け込む点である. ユーザーを中心として情報空間が球殻状に展開し、あらゆる方向にインタラクティブな要素が存在する
ただし、ユーザーを情報の洪水で取り囲むことは避けなければならない. 全方位UIの目指すところは、適切な情報が適切な場所・向きで現れ、ユーザーが意識しないところでは静かに引っ込んでいることにある
この2つの球化は、SaaSモデルの変容にも表れている
従来のSaaSは個別のGUIアプリケーションとして存在していた. しかし今後は、抽象化されたエージェントがタスクの主語となり、SaaSはバックエンドの一部へと還元される
これは第一の球化により、複数のSaaSが単一のエージェントインターフェースに統合され、第二の球化により、そのインターフェース自体が環境に溶け込んでいく過程を示している
本質的に、これは道具から環境への転換として捉えられる
キーボードという道具から音声という環境へ. アプリケーションという道具からエージェントという環境へ. 画面という道具から空間という環境へ
旧来のUIでは、入力は文字・クリック、実行単位はアプリケーション、認知対象は画面という構成だった. 球的UIでは、視線・意図・環境そのものが入力となり、コンテキスト全体が実行単位となり、認知対象は存在しない
抽象化が進むほど、システムの挙動が理解・制御しにくくなる. 空間化が進むほど、プライバシーや認知的負荷の問題が生じる. UIの球化には課題が伴う
それでも、人間中心の価値観を保ちつつこれら新技術を調和させる方法は見つかるはずである. エージェントの判断根拠を適度に開示したり、ユーザーが介入できる権限を残すデザインなど、様々なアプローチが考えられる
UIは"球"へと向かっている
抽象化の球は、あらゆる入力を受け止め、あらゆるタスクを実行するインターフェースである. 空間化の球は、ユーザーを360度包み込み、現実に融合した環境そのものとなる
この2つの球が重なった時、UIは究極的に透明化し、ユーザーにとってはあたかも空気のように自然な存在となる.
The most profound technologies are those that disappear.
— Mark Weiser, "The Computer for the 21st Century" (1991)